ひだかたかのり(日高崇典)のブログ

できないのではない、出会えていないだけです

グリデン先生

「トコトンていねいな英文法レッスン」という本のコラムのために書いた原稿の中にボツになったものがあります。

 

僕は、日高式の教え方は次の3つのことが重なって生まれたと思っています。

 

(1) 中学時代に英文法がまったくわからなくなったこと

(2) ある先生との出会い

(3) 高校受験に失敗した子供たちに教えた経験

 

この内の2番目の、ある先生との出会いを書いたものがボツになってしまったのです。ショックでしばらく原稿が書けなくなったことを覚えています。

 

--ここから--

 

高校1年の時、僕たちを叱ってくれたT先生のお陰で、その後、僕は英語を勉強するようになり、どうにか英語嫌いを克服することができたんだけど、2年生ぐらいから音楽にのめり込んでしまっちゃって、勉強不足で浪人する羽目になってしまったんだ ^_^;  “浪人するなら東京だ!”とかねてからそう決めていた僕は、迷うことなく憧れのW大学の一番近くにある予備校に通い始めた。予備校での英語の授業は、あまり役に立たなかったけど、僕はその予備校で、和角仁先生と出会うことになる。先生は古文を教えられていて、重要なポイントにグリグリデンデン虫というマークをつけられることから、グリデン先生という愛称で呼ばれていた。周りに大きな塾や大型書店もないような田舎 で育った僕は、先生によって初めて受験のテクニックというものを知ることになる。先生の授業は、とても新鮮で衝撃的なものだった。

 

「試験場では、いちいち『これはどんな問題かな?』なんて考えているような時間なんてないんだゾ。問題を見た瞬間に『ああ、この問題はあの時練習したやつだな』と答えが浮かんでくるようでなくっちゃ…」

  

 昔から、人にものを教えられるのがあまり好きじゃなく、いつの間にか予備校より、図書館に通う方が多くなっていた僕だったが、和角先生の授業だけは、一回も休むことなく、全て受講した。そして、先生に教わったことを夢中になって身につけようとしたんだ。僕の教え方が、もし、他の先生たちと異なっているとしたら、きっとあの時先生に習った経験が、生かされているからなんだと思うよ。あれから、もう20年以上の歳月が流れてしまったけど、先生は今でも現役で教えられているようだ。僕は、今でもときどき先生の書かれた参考書を読み返しては、独特のグリデン節を思い出すようにしているんだ。

 

 さて、この話には、まだ続きがあるんだ。

ある日、僕の所に “サイトを見ました” という件名のメールが届いた。送信者を見る

と、“和角仁” ぶったまげたよ。だって先生と同姓同名なんだもの。

 

「でも、まさかな」

 

 と疑いながらメールを開くと、いきなり“ぐりでん”と書いてあった。

 

「まちがいない!先生からだ」

 

 僕は、夢でも見てるんじゃないかと、思わず自分のほっぺたをギュッとつねってみたよ。だって先生は、僕にとって神様のような存在の人だからね。短いメールだったけど、先生の優しさが伝わってくる暖かいメールだった。実は予備校時代、僕は先生と一度もしゃべったことなどないんだ。一度もしゃべったことがないような人から、いったいなぜメールが来るのか、不思議に思うだろ?実は、僕はホームページを開設していて、先生のことを尊敬していることや先生の書かれた参考書のことを紹介していたん

だ。先生がたまたまご自分の名前で検索されていて、僕のページが検索にひっかかというわけさ。ホームページを開いて、この時ほどよかったと思ったことはないよ。この時、先生からいただいたメールは、僕の一生の宝物になるだろうな。

 

--ここまで--

 

追伸

先生の参考書の中で1番おもしろいのは(東進ブックス)から出版されていた

 

「和角仁の[最強のグリデン古文]実況放送」(上)(下)

 

なのですが、先生が東進ハイスクールで教えられていないため、絶版となっているようです。 祈 復刊!